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道教の「道」

気功や気養生の

参考になれば。

 

 

「中国道教協会」さまより

 

太上《道德真经》中所概说的“道”,是道教的核心教理。道教所以称为“道教”,《云笈七签》以“道德”部为第一类,《道教义枢》也以《道德义》作为开宗明义第一义,都是因为道教徒要以“道”为核心教理和最高信仰。所以《道典论》中说,道士者,要以“道”为事。
     太上之道,在道教的信仰中,它是无形、无色、无味、无声、无情、无信的,又是先天地而存在的,并无世不在,;无处不有,是生化天地万物一切有形的本源。本无法用有形的文字来称说,但为了便于人们来记述,强名而为“道”。道生化天地万物,是通过无形的元始祖气、并由元始祖气分化为阴阳二气来成就万物的。万物则依各自所禀赋的气质而各成形状,自然生长。在人类生命出现后,道又聚气而成神尊,教育人们明白“道”的宗义,珍重生命,树立符合“道”之体性的人生观。“道”在宇宙尚未开辟之时,曾变化为元始天尊。在宇宙开辟有了天地之后,变化为灵宝天尊。在成就宇宙万物的过程中,又化生为太上老君道德天尊。此后,太上则历世化生,布说“道”之宗义而被尊为师,至殷武丁时化生为老子,著说《道德真经》,开仙道之宗源。所以道教在创立之后,尊奉元始天尊、灵宝天尊、太上老君为最高尊神,信仰敬拜。使对“道”信仰形象化、人格化。其核心信仰也就是“道”。
     而在修行中,更是以太上之道的义理为根本。因为无上的“道”不但是造物主,至高神圣,而且有着最值得人们崇敬和体悟的高尚品德,有益人们修行和信奉大道者树立良好的人生观。“道”化生万物,以自然无为为法则,任万物自然生长,而且从不因为是万物生化的主宰者而居功自恃。不索求任何报答,毫无一点私自之欲,始终保持以清静为本,柔弱为用。并像水一样处下以利万物,且具有江海一样的胸怀,虚怀若谷。以用文字难以形容的高尚德行成就和养育万物,使自己永恒常存,不生不灭。所以,道教以“道”为教理宗义,教导人们修行“道”一样的品德,度已度人。道教所敬奉的救苦天尊和祖天师等所有神仙真人,由于他们具有“道”一样德行或通过自己的修行而得道,成为“道”又一人格形象,受到世人的敬奉。

 

 

太上『道德真経』に概説される「道」は、道教の核心教理である。道教が「道教」と呼ばれる所以は、『雲笈七箋』が「道德」部を第一類とし、『道教義枢』も『道德義』を開宗明義の第一義とするのも、いずれも道教徒が「道」を核心教理かつ最高の信仰とするためである。ゆえに『道典論』において、道士たる者は「道」を事とせよと説く。

太上之道は、道教の信仰において、それは形なく、色なく、味なく、声なく、情なく、信なく、また天地に先立って存在し、世に在らざるなく、処に在らざるなく、天地万物一切の有形の生化の根源である。本来は有形の文字で称し得ないが、人々の記述を容易にするため、強いて「道」と名付けた。道は天地万物を生み出す際、無形の元始祖気を通じて、さらに元始祖気が陰陽二気に分化することで万物を成就する。万物はそれぞれ授かった気質に応じて形を成し、自然に成長する。人類の生命が現れた後、道はさらに気を集めて神尊となり、人々に「道」の根本義を理解させ、生命を尊び、「道」の体性に合致する人生観を確立させた。「道」は宇宙がまだ開闢される前、元始天尊へと変化した。宇宙が開闢され天地が生まれた後、霊宝天尊へと変化した。宇宙万物を成就する過程で、さらに太上老君道徳天尊へと化生した。その後、太上は歴代にわたり化身し、「道」の根本原理を説いて師と尊ばれ、殷の武丁の時代に老子として化身し、『道德真経』を著して仙道の源流を開いた。ゆえに道教は創始後、元始天尊・霊宝天尊・太上老君を最高尊神として尊奉し、信仰と礼拝の対象とした。これにより「道」への信仰は形象化・人格化されたのである。その核心信仰こそが「道」である。

修行においては、さらに太上道の義理を根本とする。なぜなら至高の「道」は創造主であり至高神聖であるだけでなく、人々が崇敬し体悟すべき最も高貴な徳を備え、修行者や大道を信奉する者に健全な人生観を確立させるからである。「道」は万物を化生させ、自然無為を法則とし、万物が自然に成長するままに任せ、万物の生化の主宰者であるにもかかわらず、決して功績を誇ったり自惚れたりしない。いかなる報いも求めず、私欲の一片もなく、常に清静を本とし、柔弱を用いる。水のように下方にあって万物を利し、かつ江海のような懐の広さを持ち、虚心若谷である。言葉では言い表せない高尚な徳をもって万物を成就し育み、自らを永遠不滅の存在とする。ゆえに道教は「道」を教理の根本とし、人々に「道」のような徳を修め、自らを救い他者を救うことを教える。道教が尊崇する救苦天尊や祖天師をはじめとする全ての神仙真人たちは、「道」に等しい徳を備えているか、自らの修行によって道を得て「道」そのものの人格化となったため、世の人々の崇敬を受けている。