気功の指導をしていて思うこと。。
そんなことにも繋がる内容です。
参考までに
津村喬さんの文章をお借りしています。
採気caiqi
採るか採られるかではなくて、いっさいのものの気に支えられて生きている縁を自覚すること
これは『脈脈』の1991年10月25日号の表紙に掲載された文章の再録です。
「48基本技法」というタイトルで1990年6月号から48回にわたって掲載され、関西気功協会中期の看板になりました。記事は「12基本動作」「12基本操作」「12基本意念」「12基本呼吸」に分かれていて、気功というからには理解してほしい基本中の基本の情報を伝えました。気の操作というのがわかりにくいと思いますが、見えない気をどのように意識し動かすかということで、観気、採気、得気、行気、貫気、養気、通気、煉気、閉気、発気、布気、収気の12項目からなっています。一ページに限定されていたので圧縮した文章になっています。
外部環境の気の場から体内の気の場へと気をもらうこと。内丹術では「採」の字はしばしば用いられ、環境の気を採り入れて丹を煉ることを「採薬」といい、丹田を「採宝」ともいった。今日用いられる意味では「採日精月華」(太陽や月のすばらしいものをもらう)という表現が最初である。
(中略)
本来のいのちはひとつながりであり、気はめぐっているものなのに「採」とはどういうことなのか、エゴがあるのではないかという議論もある。房中の邪法とされるものに戦争でもしかけるように相手から気を採るという「採戦」の法があり、これを他人や自然一般に拡大して「奪う」意識を持つ人がいるのをエゴと批判するのは当たっているが、本来の採気は自分が自然の気、他人の気に支えられてたえず気の場によって生かされていることを縁として自覚することである。実際上も、自分を虚しくし、労宮や涌泉や全身のツボをからっぽにした状態でないと採気は体験できない。そして、自分に溜め込むためにではなく惜しげもなくまわりに渡すためにと発想できるととたくさんのものが入ってくるのを自覚できる。
王沪生先生の曰く「得は徳にしたがう」。
・・・「得は徳にしたがう」とは、採気とか得気とかいっても本当にできるかどうかはその人の「徳」によるのだ、という意味です。
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ご紹介した内容
気を操ること
本当にできるかどうかは
その人の「徳」による。。
という部分。
とても分かりやすいです。
すぐに
「できたような気がする」
「できているつもり」
と自分で評価される方は
意外と多いのですが・・
『本当にできている!』
そうなるためには
これがポイントですよ!
と
そんな感じでしょうか。
『徳』といえば・・・
昨年の台湾企画でも
裏のテーマが
「徳を積む」
でした。
参加者の皆さまには
事前に予習していただきました。
今年5月の台湾企画も
おそらく同じになると思います。
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徳とは何か?
積むとはどういうことか?
一緒に考え感じていければ・・
気功って、
奥が深いんですよね。。